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三宅宏実選手 銀メダルとめでとう!
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     昨日からテレビに釘付けです。ロンドンオリンピックの重量上げ女子48キロ級の三宅宏実選手の銀メダル獲得に感激です。三宅宏実選手、お父さんの義行さんおめでとうございます。

    感動のあまり、目頭が何度も熱くなります。とりあえず、ゆっくり休んで、メダルの喜び、感動の余韻を味わってください。


    読売ニュースより

    【ロンドン=児島圭一】ロンドン五輪開幕2日目の28日、銀メダルを獲得した重量挙げ女子48キロ級の三宅宏実選手(26)。三宅選手は父と二人三脚で12年がかりで望みをかなえた。

     「重量挙げを教えてください」。メキシコ五輪(1968年)銅メダリストの父、義行さん(66)に、三宅選手がこう切り出したのは中学3年の時。

     義行さんは反対した。鉄の塊と格闘した代償として右手首やひざなど体の節々に痛みが残っていた。音大出身の母、育代さん(62)は三宅選手に4歳からピアノを教え、ピアノの先生になってほしかった。

     だが、あまりに懇願するので試しにバーベルを持たせてみると姿勢が様になっていた。数か月で義行さんの高校時代と変わらない42・5キロを挙げるまでになった。「五輪でメダルを取りたいか」。うなずく娘に義行さんの覚悟は固まった。

     親子の闘いが始まった。トレーニングでは1日に挙げる重量が20トンを超えることも。マンツーマン指導が実を結び、アテネ(04年)に初出場。しかし結果は9位。雪辱を期して臨んだ北京(08年)も、股関節痛が響いて6位に沈んだ。父のせいだと思われるのがつらかった。

     ロンドンを見据えて練習計画を立て始めた父から逃げるように、三宅選手は翌年3月、黙って埼玉の自宅を出た。行き先は沖縄。シドニー五輪の元選手で、家 族ぐるみの付き合いがある高校教諭の平良真理さん(36)を訪ねた。「自信がないんです」。三宅選手は涙をこぼして訴えた。現役を続けるかどうか悩んでい た。

     平良さんは、練習用のシューズやベルトを持参しているのを見て、三宅選手の本心を見抜いた。「お父さんはきっと宏実ちゃんと同じ気持ちで闘っているよ」。平良さんが指導する高校で練習もさせてもらい、三宅選手の表情は日増しに和らいだ。

     1週間ほどして帰宅すると、父は何も言わなかった。育代さんから行き先を聞き出し、「心配ない」と思っていた。2人は再びロンドンに向けて走り出した。

     「『親子だからできた』と、証明したい」。その決意はロンドンで結実させた。銀メダルを確定させ、父のもとに歩み寄った。父はねぎらうように、その背中をポンポンとたたいた。

    最終更新:7月29日(日)12時24分

    読売新聞

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